yotafool’s blog

印象に残った本や映画の記録。日頃の疑問やその他諸々の忘備録。

this is exactly what i want!

「愛の法則」米原万里
そのキャンプでは、気の合うもの同士が集まって輪読会がいつも行われていました。面白そうな本を声に出して読む、朗読するわけです。そうすると、おかしいところで一緒に笑えたり、悲しいところで一緒に涙を流したり、人間の心の振動は、別な人間の心の振動と共鳴し合うと、より深くより大きく喜怒哀楽を味わえるという魅力もありました。p.170

辞書を引かないで読むと、もちろん20%くらいの単語は分からないのです。けれども、物語の中の重要な粗筋、本流に関係している大事な言葉は何度も出てくるんです。そうすると、前後関係からわかってくるんですね、意味が。多分こういう意味だろうと分かっていって、終わった後で辞書を引いて、やっぱり私が思っていた意味と同じだったとなると、なんだか私は天才じゃないかと元気が出るでしょ?嬉しくなるでしょ?こういうふうに自分で見つけた言葉の意味は、絶対に忘れないですね。

さらに本のよいところは、日常語にない抽象的な概念、複雑な文型などが自然に入ってくることです。p.172

攻撃的で立体的な読書
日本の国語の教科書は名作をリライトしたり、あるいはダイジェストにしたりして載せますが、私が通っていたソヴィエトの学校では、国語の授業と宿題で実作本を大量に読ませるのです。かなり19世紀の古典偏重でしたけれども。それから学校の図書館に本を返すときに、司書の先生が生徒に読んだ本の要約を、毎回言わせるんです。感想は聞かれません。つまり、その本を読んだことがない人に、どんな内容か分かるように伝えるということを、毎回やらされるのです。p.173

Confederate statues

http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-40971464

http://www.bbc.com/news/world-us-canada-40966800

Charlottesvilleの記事を読んでいるとConfederate statue がどうとか、たくさん出てくるから、なんのことだろう?って思ってたんだけど、南北戦争後に建てられた、南部の勝利のmemorialなんだね。南北戦争で南部は奴隷制を擁護する立場だったから、勝利によって奴隷制という権利を守ったわけで、だからstatue=奴隷制を想起させるもの と考える人がいて、撤去している州もあるということね。納得!

日本の国歌、国旗、みたいなもんかな。かつての軍国主義を思い出させる、てきな。

 

暴動を起こすほどの憎しみ?

https://www.google.co.jp/amp/www.aljazeera.com/amp/news/2017/08/charlottesville-attack-170813081045115.html

他人に対する憎悪の気持ちを持つことは否定しない。けど、ここまでの暴動を起こすのにはそれ以上の理由があるような気がする。憎悪の対象であった人々に自分の存在意義を脅かされる何かとか?

アメリカに滞在して気づいたこと

1. Adopted child が多くいること。自分がadopted だと知って、親の愛情を疑問に感じ出したり、それによってグレたり非行に走る人もいるということ。

DNA鑑定のサービス23&meも、自分のルーツを知るということを前面に押し出していたのはアメリカらしい

 

2. 離婚が本当に多い!!

アルフォンス・ドーデ 『最後の授業』

児童文学にこんな政治的プロパガンダが込められていることにびっくり。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/最後の授業

lyrics of "The Fools Who Dreams" from La La Land, the film

Leapt, without looking

And she tumbled into the Seine!

The water was freezing 

and she spent a month sneezing 

but said she would do it, again

 

 

Here's to ones who dream

Foolish as they may seem

Here's to the hearts that aches

Here's to the mess we make

 

She captured a feeling

Sky with no feeling 

Sunset inside a frame 

 

She lives in her liquor

and died with a flicker

I'll always remember the flame

 

 She told me

"A bit of madness is key

To give us new colors to see

Who knows where it will lead us?

And that's why they need us

 

 

 

 

「宗教的経験の諸相」W・ジェイムズ著

この講義において、私は、...教会組織のことには少しもふれず、...問題をできるだけ純然たる個人的宗教のみに限定したいと思う。諸君のうちには、そのように純粋な形で考察される個人的宗教は、板がいもなく、宗教という一般名称をになうにはあまりにも不完全なものだと思う人があるかもしれない。諸君はこう言われるかもしれない。「そんなものは宗教の一部分で、まだ組織化されない宗教のきざしでしかない。もしそれにそれだけの名前をつけようと思うなら、人間の宗教というよりも、人間の良心あるいは道徳とでも呼んだ方がふさわしいであろう。 ..」

 

諸君がその方がよいと思われるなら、宗教と呼ばないで、良心とか道徳とか呼ばれるがよい__どちらの名前が与えられても、それは、同じように、私たちの研究に値するであろう。私自身は、個人的宗教は事実、純然たる道徳の含まない要素を含んでいると思っている。そして、それらの要素を、私はやがて指摘するつもりである。(pp.50,51)

 個人的に、初めてキリスト教と聖書にふれたとき、これは道徳や倫理観のとらえ方の一種だと思った。つまり、「○○をするのは正しい・正しくない」「○○をした方がいい」「○○をしては行けない」といった価値判断を、今まで当たり前のように植え付けられて育ってきて、それがなぜいけないのか、それがなぜ価値があるのかという理由まで考えることはなかったけど、キリスト教においては、神様と神様の言葉である聖書が判断基準になる。神様がこう言ってるから、聖書にこう書いてあるから、という理由がちゃんとある感じが新鮮だった。

 

この著者は、個人的宗教(つまり制度として、社会規範としての宗教ではなく個人の信仰)は、道徳の側面だけでなく「宗教」という言葉で定義づけられる何かを含むと言っている。

読み進めるのが楽しみだけれど、どのくらいかかるか未知数…(;´д`)トホホ