yotafool’s blog

印象に残った本や映画の記録。日頃の疑問やその他諸々の忘備録。

「宗教的経験の諸相」W・ジェイムズ著

この講義において、私は、...教会組織のことには少しもふれず、...問題をできるだけ純然たる個人的宗教のみに限定したいと思う。諸君のうちには、そのように純粋な形で考察される個人的宗教は、板がいもなく、宗教という一般名称をになうにはあまりにも不完全なものだと思う人があるかもしれない。諸君はこう言われるかもしれない。「そんなものは宗教の一部分で、まだ組織化されない宗教のきざしでしかない。もしそれにそれだけの名前をつけようと思うなら、人間の宗教というよりも、人間の良心あるいは道徳とでも呼んだ方がふさわしいであろう。 ..」

 

諸君がその方がよいと思われるなら、宗教と呼ばないで、良心とか道徳とか呼ばれるがよい__どちらの名前が与えられても、それは、同じように、私たちの研究に値するであろう。私自身は、個人的宗教は事実、純然たる道徳の含まない要素を含んでいると思っている。そして、それらの要素を、私はやがて指摘するつもりである。(pp.50,51)

 個人的に、初めてキリスト教と聖書にふれたとき、これは道徳や倫理観のとらえ方の一種だと思った。つまり、「○○をするのは正しい・正しくない」「○○をした方がいい」「○○をしては行けない」といった価値判断を、今まで当たり前のように植え付けられて育ってきて、それがなぜいけないのか、それがなぜ価値があるのかという理由まで考えることはなかったけど、キリスト教においては、神様と神様の言葉である聖書が判断基準になる。神様がこう言ってるから、聖書にこう書いてあるから、という理由がちゃんとある感じが新鮮だった。

 

この著者は、個人的宗教(つまり制度として、社会規範としての宗教ではなく個人の信仰)は、道徳の側面だけでなく「宗教」という言葉で定義づけられる何かを含むと言っている。

読み進めるのが楽しみだけれど、どのくらいかかるか未知数…(;´д`)トホホ